自分の人生にも大まかな地図を持つ
昨日は海に行った話をしました。
実は、どこかの海に行く事など決める事無く、
自転車をこぎはじめていました。
おかげさまで、色んな突き当たりに遭遇し、
出戻りも何度も繰り返しましたが、最後は
携帯電話のグーグルマップを使って、無事に海浜公園まで
たどり着き、帰路も無事に家にたどり着く事が出来ました。
そんな中でも、道を右か左かどちらに行くか、迷うことが
何度もありました。そんなときに地図をみたことで、
大まかにどういう方向へ行けば分かり、
多少細かい道を間違えても無事に目的へ到着することが出来ました。
どんな道を回っても、それは1つ1つ大事な経験です。
ただ、一方で自分なりに行きたい目的地や達成したいことに
向けて歩みだしたいのであれば、地図のある/なしは大きな違いだと
思います。ただ、無いことが原因で、目的地に行けたにもかかわらず、
真逆の方向に進んでしまうかもしれません。
別に、自分の決断によりあえて真逆を選ぶのは悪いとは思いません。
自分で決めたことであれば。
地図はただの情報です。その地図を観てどうするのか、決めるのは自分です。
しかし、その地図が無い事には、目的/目標を見据えて、
自分の行くべき道を決める事が出来ません。
それでは、ただの条件反射であり、自分の人生を生きているとは
言えないのではないでしょうか。
先日の「考えて、感じる」とも繋がりますが、情報が無ければ
考えることが出来ません。自分の人生における大雑把な地図を
持って、考え、そして直感を信じて最後は決める。
そうした意思決定の繰り返しが人生を全うするということではないでしょうか。
本日は、久々のBBQに誘ってくれた前職の方々、ありがとうございます。
明日も良い1日を